本題に入る前に、私は数ヶ月前、文化人類学を学ぶ機会を得ました。学ぶと言っても、触り程度でしたが面白い学問だと思いました。
人間とは何か。何を定義として人間と呼ぶのか。動物と区別するための違いはどこなどかと言った話から始まりました。
詳しい内容は割愛しますが、人間の定義を学んで行くと、どれも当てはまるポケモンがいるなとふと思ったんですね。
そのポケモンはミュウツー。初登場時から、彼は自分が何者なのか悩みます。
私は誰だっというセリフ、今でもとても印象に残っています。
自分が何者なのか悩むというのは、現実世界だと人間しかいない(とされている)
パスカルの「人間は考える葦である」という言葉ではないですが、考えるんですよ。
さて話は変わりますが、ポケモン世界では、ポケモンと人間は別の動物だと思うんですよ。
ただ、時折人間≒ポケモンのような描写をしているところがあります。
例えばシンオウ地方の伝承は、ポケモンと人は同じような存在であったような書き方をしていますよね。
ポケモンと結婚していた時もあったという話、ポケモン好きな人には歓喜する内容ですが、よくよく考えるとものすごい事ですよね。
昔はポケモンを♂♀ではなく、男・女、つまり異性として見ていたんですよ。
それこそ、人間と同じ、権利 を持つ存在としていたんですよ。
現実世界では、ポケモンは手持ちで相棒のような存在ではありますが、人の権利を持っていません。もし人権があればボールという存在が倫理に反します。
ここで疑問に思うのが、ポケモンの地位がなぜ落ちたのか。そもそもなぜポケモンと人間は別れているのか。
前者に対しては、もしポケモンが昔、神として崇められる存在。それこそ土着信仰の具象であったのならば、信仰の低下、科学の発展による神秘の解体というもので説明つくかなと思いました。
後者についてはメタ話なしで考えると、人間とポケモンの出生が違うせいかなと考えます。
私が考察三割妄想七割で書いている小説に出てくる、巨人と神がそれぞれ作り出したのかなと(これも大概妄想です)
でも、そうすると人間は、自分のご先祖をポケモン認定してしまっているという、矛盾を作り出しているんですよね。
人間という定義を作ったが、人間の定義に当てはまるポケモンが存在し、なおかつ自分たちは(人間とは)何かとルーツを探求した結果、ご先祖が巨人(ポケモン)ということを発見。
我々はポケモンなのか、いいや違うと否定する材料を探すが、あろうことか科学がその逃げ場を塞いで行きます。だからと言って巨人を人間と扱うのかと議論が飛ぶ。
自分たちが何者なのか、人間という意味がゲシュタルト崩壊していってしまうーーような背景設定考えましたが、どうなんでしょうか。
ポケモンが人間になる!っていうより、人間がポケモンになる!な感じですね。
ただポケモンが人間に近づいて、お互いの境界線を狭めてなくそうとするお話し、ありだなと思いました。
ポケスペのお話読むと、デオキシスでちょっと書いて見たいです。