突き出した腕を下ろして、私は歯を食い縛る。目の前にあるのは、私の攻撃を喰らって仰向けに倒れた人間の姿。
口から赤い体液を流しながら、恐怖に歪んだ表情を向けてきている。体全体が震えており、腹に食らった衝撃のせいで呼吸がしづらいようだ。肩慣らしにと繰り出した攻撃でこの体たらく。本気の一撃を入れていたら、死んでいたな。
「くっ」
人間が顔を横に倒し、必死に草むらに手を伸ばしていた。その先にあるものを見て、私は苛立ちを強くした。軽く腕を踏みつけて、動きを封じてやる。これだけで人間が呻くものだから、呆れてしまう。群れのボスだと思っていたが、勘違いだろうか。
そもそも、ボスなのだから一対一で戦うべきだ。なのに、人間は手下を先に出して戦おうとする。一番酷いのはこの人間のように、無様に負けた後に手下の力を借りようとするところだ。
そんな情けない姿を見れば、手下はがっかりするだろう。だけど、人間に従う手下はそれがないから困る。ボスが負けても戦意が失わない。むしろ上がるのだ。そのせいでボスに勝っても、手下に追い回されることがある。仕方ないから相手してるが、正直やる気がおきない。弱い奴と関わるなら、強い奴と関わりたい。
人間が伸ばした手の先には、上と下で色が違う丸い入れ物だ。不思議なことに私の体と同じ赤い色をした部分は、水のように透き通っている。そのため少しだけ中が見えるので、手下がいるのかどうかがわかる。そして、中にいるのはほとんどの場合、森の中では見たことがない姿の奴が入っている。
これは、私にとって目印になる。これが多いほど、そして中にいる奴の気配が強いほど、それを扱う人間の力も強い、と私は思っている。しかし戦いを挑めば挑むほど、それが間違っていると心配になる。
なんせ全ての人間が、一撃食らっただけで死にそうになる。一回でも攻撃を避けたらできる方だ。
丸いものがカタカタと音を立て始めた。中にいる奴が出ようとしているのだろう。
すでに本来の目的は終わったので、戦う意味はない。だが、よくよく考えるとボスだと思っていた人間がコイツに助けを求めていた。つまりは、コイツが本当のボスかもしれない。
考えをまとめる前に、丸いものが割れて中から熱気とともに中にいた奴が現れた。赤と黄色の体はずいぶんと太い。肩から赤い毛か、よくわからないものがゆらめいている。相手は、黄色く太い腕を私の方に突き出して、顔から突き出た口を大きく開く。
『てめぇ、よくもトウヤをやってくれたな!』
この言い方は手下をやられたボスの言葉だ。だとしたら、コイツがこの群れの本当のボスか。
人間がコイツに助けを求めたというのも、納得がいく。ふと、丸いものに入っている理由が思い浮かんだ。
『――そうか、その丸いのに入って手下に運ばせているのか。危険な場所も手下が先に調べて、お前は安全な場所で見ていたわけか。もしも危なくなったらお前が出てきて、敵を倒す』
我ながらいい考えである。それなら今まで戦ってきたモノたちにも当てはまりそうだ。
『何をほざいている。トウヤから離れろ!』
鈍い動きで腕を振り上げてきたので、私は一足飛びに横に飛んで距離をとった。
「ブーバーン……」
人間が、か細い声で呟く声を聞いた。この熱気を放つ赤い体を持つものは、ブーバーンというのか。
手下の声を聞き、慌てて駆け寄る姿は良いボスなんだろうと思えてならない。
『大丈夫か』
そう声をかけるブーバーンだが、人間は言葉がわかっていないようだ。言葉が通じない相手と、よく一緒になれるものだと思う。ブーバーンに支えられて立ち上がった人間は、恐怖から怒りの表情に変わった。
腹を押さえながらも、一人で立ち上がり私を指さして叫んだ。
「ブーバーン! 火炎放射だ! あのハッサムを焼いて倒せ!」
どういうことだ。
手下がボスに命令するのはおかしい。しかし、ブーバーンは人間の命令通りに動いた。
左右の腕を突き出したかと思えば、そこから炎が一気に吹き出した。横方向に動いても逃げきれなさそうなので、後ろに下がり禿げた太い枝へと飛び乗った。木々に燃え移るのが嫌だったのか、炎の技はすぐにおさまる。
このブーバーンをボスだと思ったが、手下の言うことを聞くだろうか。聞くにしても何か状況がおかしい。今の状態を見れば、人間の方がボスに見える。敵にあった場合、ボスが弱く見えるようでは敵に軽んじられる。それとも、これも策の内なのか?
『おい虫野郎! 降りて来い!』
『……ボスは、お前じゃないのか』
問いかければ、ブーバーンは鼻を鳴らして私を見上げた。
『ボス? 俺たちはお前たち野生のポケモンとは違うんだよ! トウヤは俺のトレーナーで、信頼できるパートナーだ! 上下なんてねぇ!』
私はその言葉を聞いて、途端にやる気が削がれた。
『ふん。そのか弱いパートナーを守れていないみたいだが?』
『何だその言い方は!』
事実を言っただけなのに、相手は鼻息を荒くして怒る。熱さが増したように感じた。
『傷ついた原因は、お前ということさ』
『貴様が攻撃したからだろう! なぜあんなことをした!』
どいつもこいつも、同じことを聞いてくる。何度も聞き飽きたその言葉に、言い飽きた言葉を返してやった。
『なぜ? お前たち群れのボスが、その人間だと思ったからだ。俺は強い奴と戦いたいんだ。だからボスである人間を狙った』
しかし、会う奴全てが弱いものばかり。弱すぎて殺すのも気が引けるほどだ。
そろそろ探し方を変えてみようと思っている。だが、今のところいい案が浮かばない。
『トウヤはボスじゃない。大切なパートナーだ。お前にはわからないと思うけどな』
これまた聞き飽きた返事が帰ってくる。相棒とかパートナーとか言うが、私にはそうは見えない。
『だったら、どうしてお前一人だけで戦っている。パートナーと言うのなら、一度でも背中を合わせて戦ったことがあるのか』
『ある訳ないだろ。トウヤはポケモンじゃないから戦えない』
何を馬鹿なことを聞いてくるという風に、ブーバーンは私を嘲り笑う。こいつも今まで会った奴らと同じだ。弱い奴の命令を聞くことが不思議に思わない。
『……お前は、戦えない弱い奴の命令を聞くのか。理解できないな』
まぁ、理解したくもないが。
『トウヤは弱くない。あいつのおかげで、俺は強くなれたんだ!』
ブーバーンは誇るように胸を張っていた。私はその姿を見て、思わず笑い飛ばしてしまった。こいつらが、人間に飼われる理由がよくわかる言葉だ。
『何がおかしい!』
ブーバーンはもとから赤い顔を、もっと赤くして叫んだ。私は笑いを収めて、殺気を向ける。それだけで目の前の“弱きもの”は怯えだす。
『自分の力で強さを磨くことを諦めた弱者。人間の力がなければ、強くなれない奴と戦う価値はない。せいぜい人間のお遊びの中で、強者の振りでもしてるがいい。だがな――』
私は枝から飛び降りた瞬間、足に力を込めて幹を蹴った。ブーバーンの脇をすり抜けて、呆然と立っている人間に迫る。
『――弱者には何もできない。何もな』
振り上げた鋏が人間の体を打ち砕くのと、心地よい悲鳴が背後から聴こえてくるのは、ほぼ同時のことであった。