月を囲う雲に感謝しながら、俺は闇の森を飛び回った。すると煩わしい光が視界をかすめた。
気分を害し、光のない方へと方向転換するが、ふと疑問が浮かんだ。
あの光は月明かりでもないし、だからと言ってポケモンでもない。というより、あんな光を放つポケモンはこの森には居ないはずだ。
しばらく考えてから、ようやく光の正体が人間が使う道具だと思い至った。
そして俺は、こんな時間に森を歩く人間が誰なのかもなんとなく察しが着いた。
多分、俺たちの間で有名なあの変わり者の人間だろう。俺たちポケモンですらそう思うのだから、きっと人間達の間でもかなりの変わり者だと思う。
そんな有名人がこんな時間に森を歩いているのは、いつもの事だから気にはしない。しかし、先ほどから見える光のゆれ具合が何かおかしい。
歩いているならゆっくりとはいえ光は移動する筈だが、その場に留まり続けている。その一方で、激しく揺れているのもまた奇妙だ。
俺の中でちょっとした好奇心が持ち上がった。
嫌いな光を枝や葉っぱで上手く遮りながら、怪しい動きをする光へと向かう。光を遮るには限界があったが、どうにか俺は近くの枝まで渡り飛ぶことができた。
しばらく光を見ていたからか、眩しさに慣れてきた。そのお陰か、人間の男が二匹の小さい同胞に襲われている姿を見ることができた。確か人間たちはズバットと呼んでいたか。
そいつらは人間を驚かせながら、隙をついて血を吸おうと躍起になっていた。
人間の方も手に持っている光を放つ道具、記憶が正しければカンテラだな。それをかざしてどうにか防いでいる。
おかしなことに、こいつは手持ちを出していないようだった。人間達は、外を出る時はいつも飼い慣らしているポケモンを持ち歩いている。こんな状況に陥った時こそ使う存在のはずだが、未だにポケモンを出す気配が無い。
このまま襲われている様子を見ているのも良いか――――。と思いかけた時、ふいに聞こえた悲鳴に耳がびくついた。
まだ続いているようだ。本当にあの鳥は気の毒だと思う。
俺は小さくため息をついてから、小さな同胞たちに目をやった。
――このまま放っておいて助けなかったことをあいつにバレたら、かなりまずいだろう。それこそ、あの鳥と同じ境遇になりかねない。それだけは何が何でも避けたいことだ。
あと、なんだかんだヨズクもあの人間を気に入っていると思える節がある。何かあって攻められるのも嫌だ。どっちにしろ、同胞が攻撃している時点でとばっちりを受けるのは目に見えている。
――――さて、どうやって助けようか。
そう思っていると、一匹が人間の腕に噛み付いた。よくよく見るともう一匹は、翼を足で踏まれて地面でもがいている。なんとも情けない姿だ。
噛まれた人間は同胞の頭を掴んで引き剥がそうと格闘していた。
腕に伝う血を見て本能的に唾を飲んだ。かぐわしい匂いが鼻を刺激する。急激に腹が減り、よだれがたれそうになった。
これはまずい。このままだと俺がこの人間を襲いそうだ。
匂いをかき消すように青い翼を羽ばたかせる。人間は羽ばたいた音に反応して、ゆっくりとこちらを振り返った。手には引き剥がした同胞を掴んでいる。
なかなか図太い人間だ。普通は噛まれたらパニックになって騒ぐというのに。
人間の度胸に感心しながら、俺は小さな同胞どもに警告する。
「おい、そいつは止めておいたほうが良いぞ。“ヤツ”が怒る」
「うるさいはぐれ者! 俺たちは腹が減っているんだ! 餌を襲って何が悪い」
地面に伏している同胞が言った。正しい考えだ。しかしそういうのは普通の餌の時にして欲しい。
なんせこいつはあいつのお気に入りだ。下手に襲って怒りに触れたら何をされるか分からない。
しかも、あいつは俺を群れのボスだと思っている。俺ははずれ者だ。だから同胞どもの責任を負わされる筋合いはない。
「気持ちは分かるけど、他の餌を探してくれ」
「お前、横取りする気だな? そんなことはさせないぞ!」
捕まっていたはずの小さな同胞が飛びながら叫んでいた。人間の方を見ると手を押さえている。
油断して指を噛まれたみたいだ。やっぱり人間は詰めが甘い。地面に伏して居た奴も、踏まれていた翼をずらしてうまく脱出していた。
「こいつは俺達の獲物だ! てめぇは退いてろ!」
二匹は同時に俺に向かって超音波をかましてきた。俺も超音波を出して応戦した。わずかの差で二匹の音波は俺に負けて掻き消える。そのまま小さな同胞どもにふりかかり、相手は混乱した。
「俺の音波を甘く見るなよな」
俺は自慢げに言ってやった。
「くしょー」
相手は混乱したせいか言葉が上手く喋れていない。二匹を翼で打ちつけて吹き飛ばし、この場から消えてもらった。
同胞どもを追い払えたので、助けてやった人間を見るとなぜか膝をついて頭を抑えている。仕舞いには倒れてしまった。どうやら、超音波技のとばっちりを食ったようだ。
柔いなー、と思いながら俺は人間に近づいた。
視界に腕から流れる血が入り、気づいたらなめていた。少しぐらいなら吸血してもいいかなと思うほど、こいつの血はうまかった。
周りを見渡して、誰もいないことを確認する。軽く一口、と思って腕に牙をたてようとした。――――だが、そこで俺は翼一つ動かすことができなくなる。
俺は戦慄した。気配を探ったときは居なかったはずだ。だからこそ、俺は血を吸おうとしたのだ。
けれども今は探らなくても気配が感じられる。間近にいると思えるぐらい、巨大な気配に俺は冷や汗をかいた。
「何をした?」
鋭くきつい声が真後ろから聞こえた。
「違う誤解だ。俺じゃない」
言い訳するもこの状況では、信じてもらえないだろう。魔が差したところを見られるなんて運がなさ過ぎる。それに、いつから奴はこの場に居た? 悲鳴が聞こえた後にここに来ることはあり得ない。
――それどころか、悲鳴は未だに上がっている。
「誤解? ならばなぜ吸血しようとした」
奴の言葉で俺は考えるのをやめる。今は奴が個々に居る理由よりも、この場を切り抜けることが先だ。
「いや、あのそれはほんの出来心であって、血を見たら吸いたくなるのが俺たちゴルバットの習性というか、生態というか……」
「ほう、お前がそんな言葉を使うとはな。ヨズクの入れ知恵か」
ふわっと体が宙に浮いたかと思えば、背中を強く引っ張られる感覚に襲われた。
気づいたときには、木の幹に背中から強かに打ち付けられていた。衝撃で一瞬息が詰まる。幹に寄りかかり咽ていると、頭上に陰がかかる。
「で、コウヒ。キコリを襲った理由はなんだ」
威圧的な声の前に、俺は顔を上げることができなかった。目を伏せて恐怖で震えていると、奴は細い足で俺の翼を地面に縫い付けるように踏んだ。俺は悲鳴をこらえ、おそるおそる顔を上げる。
目の前には、鋭い白い牙がぎちぎちと音を鳴らしながら動いていた。そしてウイの実色を薄くした目が見下すように俺を見ていた。背筋が凍るような冷たい視線。答えによっては殺すと目が言っている。
「違う! 襲ったのは俺じゃなくて、小さな同胞……ズバットたちだ!」
「それこそお前が命令してやったんだろ」
ほら来た勘違い! この際勘違いを正してやる――最早やけくそ気味に俺は言葉を投げた。
「俺ははぐれ者だ! あいつらが俺の言うことになんて耳を貸すもんか!!」
「……そうなのか?」
相当切羽詰った物言いだったのか、怪しみながらも向けられていた鋭い視線が和らいだ。
「そうだよ…」
実際本当のことだ。先ほどの小さな同胞の態度を思い出して少しだけ落ち込んだ。
この姿になる前は、一応は話を聞いてくれた同胞も、今では敵意むき出しにされて追い払われてしまう。
奴は少しだけ黙り込んでから言葉を放った。
「貴様も苦労しているのだな」
俺はまさかの同情の言葉に驚いた。予想外の反応に、返事が遅れてしまうほどにだ。
「まっまぁな。けどお前のほうが大変だろ」
「今はそうでもないさ。うるさい奴は確かに居るが、力で示せば黙り込む。それに、オグモは存外私を認めている。同族という意味ではないがな」
「あーうん。そっか」
生返事をする。そうそう同意できる話でもない。
奴は翼から足をどけて後ろに下がった。俺は自分の青い翼に異常がないか、確認しながら立ち上がった。
「そういえば、貴様は初めてあったときから態度が変わらんな。私が怖くないのか」
当然怖いから――――なんて、言えるはずもないので俺ははぐらかした。
「えーと、ほら俺たちはお前たち種族のこと詳しくないし。とやかく言う意味もないからな」
「そうか。ヨヅクは私の存在が気に食わないみたいだが」
「あいつは元々虫嫌いだからな。お前じゃなくても嫌ってたよ。俺だって嫌われてないけど視野にないし。つーか、同族以外に容赦ないよ。今日だって――」
「他所の鳥をけしかけた」
奴が言葉をつなげ、俺は気まずくなった。
「――わかってたのか?」
「あのポケモンは、この地には来ない種だ。渡りに来ても時期が違う」
「そうなんだ。けどさっきまで悲鳴が聞こえてたから、痛めつけていたんじゃ」
先ほど浮かんだ疑問が、また浮かび上がったので聞いてみることにした。
「今はリンドウに任せている」
――リンドウ。その名前を聞いた途端、全神経が逆立った。俺の中でトラウマになりかけている相手だ。
アリアドスの中でも、こいつやオグモだって結構関わりたくない部類だが、リンドウはそれを超えている。もはや会いたくない。
「加減をつかむ良い機会だと思ってな」
「それでなぶられる方は、たまったもんじゃないと思うけど」
されかけたことがある俺にとっては、恐怖の何者でもない。加減を知らないサイコキネシスはもう食らいたくはない。あれは本当に死ぬかと思った。
「話しを戻すが、お前ではないとするとボスは誰だ」
「居ないよ。そんなもん」
俺たち種族は群れることはあっても、誰かが仕切ることはないのだ。
「そうか。ではここら一体を刈り取る。異論はないな」
「あっても聞かないだろ」
普通にこういうこと言うから怖い。刈り取るってなんだよ。——マジでなんだよ。
俺はしばらくこの辺に近づかないことを心に誓った。
俺に興味を失った奴は、人間の近くによって腰元にあるボールを見つめていた。
「なるほど。間違えて空のボールを持ったのか。キコリらしいミスだ」
「あぁ、そういうことか。どうりでポケモンを出さなかったんだな」
「見てたのか?」
唸るように、威嚇をこめて奴は言った。
「来たらすでに襲われていたんだよ。ポケモン出してないからおかしいって思っただけ! だから唸るな! 威嚇するな!」
「——――まぁいい。一応礼は言う」
そう言って奴は頭を下げた。この際礼を言ってないことに文句は言わない。
こいつが頭を下げるだけでも貴重なことだ。それに、下手に文句を言うとお得意のサイコキネシスをかましてくるから質が悪い。
「じゃ、俺は行くよ。ここに居ると腹減ってくるし」
事実、この場を満たす血の匂いのせいで、腹が鳴りっぱなしだ。
「キコリ以外の人間なら別に気にしないぞ」
「いや、最近は警戒強くて血を吸えなくてね。だから今は控えてるんだ。前に人間の長と一緒に居たポケモン。ユゲラーに手痛くやられたし」
「ユンゲラーだろ」
「それそれ。あいつの技すっごい痛いからさ。村には近づかないことにしたんだ」
「賢い選択だな。奴は貴様と相性が悪い」
「相性?」
こいつは時折俺が知らない言葉を使う。首をかしげて問うと、奴は真剣な眼差しで見つめてきた。
「相性は知っておいて損はないぞ。それだけでも戦いが楽になる。まぁ、詳しい話はヨズクにでも聞いてみるんだな」
そして説明が面倒臭いと、いつもヨズクに投げる。本当はよく知らないのでは、といつも疑いたくなる。
「じゃあ、今度聞いてみる」
「……お前は素直だな」
突然奴は、くつくつと笑いだした。聞けと言ったのはお前だろうが。
俺が怒っているのに気づいたのか、奴は笑いをおさめる。
「悪いな。あまりにも素直に言うことを聞くから、つい笑ってしまった。——お前は良い奴だよ」
これまた訳の分からない言葉を言うもんだ。俺は、自分自身を良い奴だとは一度も思ったことはない。
だから否定してやった。
「そんな訳あるか。なに馬鹿なこと言ってるんだ」
「そうか。しかしこの森にいる者の中では貴様はマトモな部類だろう」
お前から見たら全員マトモだろ——と思ったが、そんなこともなかった。
今日のヨヅクの行動は今に始まったことではないし、オグモも縄張りに侵入した奴には、一に殴り二に殴り三に殴るという猛攻具合い。
――瀕死? そんなものは知らんな。
そう言ったオグモのあの笑顔は忘れられない。そして言わずもがなこいつは、やることなすこと全てがえげつない。
――あれ? もしかして俺の周りマトモな奴が居ないのでは……。
よくよく考えてみたら、皆やってることはあまり大差なかった。俺はその事実に大きなショックを受ける。
「自覚したか?」
俺の心情を理解しているのか、奴は笑い声を含む声で言った。
「まぁ少しだけ……」
自然と顔が引きつってしまう。
「そう引くな。こんな人の目に触れない森の奥にすむポケモンで、マトモな者は少ない。なんせ皆人間が嫌いで、身を隠している奴らばかりだからな」
「けど、ヨヅクとかオグモは姿を見せてるぞ?」
「恐怖を与えるために意図的に見せているだけだ。奴らは自分たちから人間に恐怖を抱かせている。だからこその名付きだ」
「待て、俺だって名付きだぞ!」
「お前の場合は人間たちが勝手に怖がって名を付けたはずだが」
「そういえば、そうかも」
「怖がらせたのと、怖がられた。これは大きな違いだ」
どう大きく違うのか俺にはさっぱりわからなかった。
「やっぱりお前の話は、難くてよくわからん」
「そうだろうな。わかっても別に何かが変わるわけでもない。——それに、わからない方が良いのかもしれない」
最後のは独り言のように聞こえた。長い沈黙が流れ、俺は奴がこれ以上喋るつもりがないことを悟る。
俺は無言のまま翼を羽ばたかせて、その場を去った。
◇◇◇
“ヤツ”と分かれた後、かなり高度を上げて飛んだ。
月は完全に雲に隠されて、一層ぼやけた光が上空にとどまっていた。
腹の虫が騒がしいが、今日はいろいろとあって心身ともに疲れていたので、素直に洞窟に戻ることにした。この辺りの森は、朝でも薄暗いから住処にしても良いのだが、わざわざ洞窟に住むのには理由があった。それは、この森に住む虫ポケモンが強すぎるせいだ。昔はヨヅクの群れ以外にも鳥ポケモンが居たみたいだが、オグモたちに住処を追い出されたらしい。今やこの森は、ヨヅクとオグモでにらみ合いが続いている状態だ。
のんびり暮らしたい俺にとっては、住処にしたくない。そして何より、あの奇形のアリアドスが恐ろしいからだ。
見た目ではなく、何か根本的に違うのだ。例えるなら、アリアドスの姿をした人間。そう勘違いしそうなほど、あいつの考えは人間よりなんだ。
ヨズクやオグモもそう思ってるのか、あいつのことを化物と呼んでいる。決して本当の名前を呼ぼうとしない。各言う俺も、あいつを呼ぶ時は“ヤツ”と呼んでいる。
だから、あいつの本当の名前を呼ぶのは、唯一あの変わり者の人間だけ。
八本足の化物。ヤツカハギ。それがあいつの本当の名前だ。