「何故それを知っている?」
限りなく低い声でレインはムトムに聞いた。答え方次第では、ただでは済まさないと脅すような響きをかねている。
「失礼、陽炎のほうが良かったかな。確かに陽炎のほうが私も良いと思うよ」
気を悪くさせてしまったことを詫びるムトムだが、レインが気にしているのはそこではない。どういう経緯でそれを知ったのか、レインにとって重要だったのはそこだった。
「どこでそれを知った?」
「それは秘密にしておこうかな。今現在では、その話をする意味は無いからね」
ムトムがはぐらかすので、レインは力づくでも口を割らせようと襲いかかる。だが不思議なことに、体がふわりと浮いて身動きができなくなってしまった。
それがムトムのサイコキネシスだと分かるのに、レインは数秒用いた。
レインは、サイコキネシスでソファの上に無理やり座らせられる。それからムトムもソファに座り、向かい合う形になった。
「陽炎と付けた誰かは、君のことをよく理解していると思うよ。実体がなく掴み所のない情報屋。それにバクフーンは、陽炎を使って身を隠すと言うしね。君にぴったりじゃないか」
「……」
レインが睨んだまま黙りこんでいるので、ムトムは嘆息を漏らす。
「私が君の正体を知ることがそんなに不服かね? どんなに秘密にしていても、漏れるものは漏れるものだよ」
「俺の正体を知っていながら、どうして俺と話す。警察に引き渡すことを考えたりしないのか?」
ムトムはさらに嘆息を漏らした。
「私は知っているだけさ。君が怒号の爆風だと示す証拠は無い。だから警察を呼んでも意味が無い。それに私は“陽炎”という情報屋として君と接している。…………そういえばお茶を出してなかったね」
何もないテーブルを見て、ムトムはバチッと電気を発生させ球形にする。球形になった電気をテーブルの上に乗せると、電気がはぜる音が鳴り響きあたりが一瞬光に包まれた。
光が収まると、いつのまにか水が入ったコップが二つテーブルの上に置かれていた。光で視界を遮られたとはいえ、一瞬の出来事である。その間に水を用意するのは物理的に不可能と言えよう。
ムトムは誇らしげに水をレインの前に移動させながら、表情を窺っている。
当のレインは、表情一つ変えずに現れた水を見つめていた。
「おや? 驚かないのかね。これをすると皆、面白い顔を見せてくれるんだが……」
レインの反応が悪くて、ムトムはがっかりしていた。
しばらくして、レインは真一文字に結んでいた口を開いた。
「――分かった。あの話は聞かなかったことにする。取引には応じてくれるんだな」
「あぁ、それはよかった。このまま取引破綻になるかと思って心配したよ。陽炎の君なら喜んで取引させてもらうさ――では、わが社に何をお求めできたのかな?」
一変してムトムの表情が真面目なものに変わる。あまりにも雰囲気が変わりすぎて、レインは一瞬場の空気に呑まれそうになった。
「――今騒がれている失踪事件について、分かっている情報全て教えてほしい」
「失踪事件について?」
ムトムは頭をかいて、小さく唸る。
「確かに調べていた社員はいたが……それだけか?」
「それだけだ」
ムトムは探るような目つきでレインを見た。
レインも、心を読まれまいと表情を固くする。
「……私たちに聞かなくとも、君自身で調べればすぐにわかる情報をなぜ聞く?」
ムトムはレインが頼む内容が気に入らないみたいだ。
レインは何か裏があるとムトムに思われていると感じ、それらしい理由を述べて説明した。
「向き不向きがあるだろ? 事件系の調査は、苦手なんだ。金ならいくらでも出すから提供してくれ」
「向き不向きか。それもそうだな。報酬は、情報といこうじゃないか。情報屋の君相手に金を取るような愚かなことはしないよ」
「満足する情報はないかもしれないぞ。それでもいいのか?」
自身なさそうにレインが言うと、ムトムは笑い飛ばした。
「何を謙遜しているんだい。まっもしもなかったら、君に調べてもらうよ」
「あっそう」
そういうところはしっかりしている。流石コルの上司だと、レインは感心した。
「さてさて、そうすると、その事件を調べていたのは――――」
コンコンっとドアがノックされた。
ムトムが入出許可を言う前に、ドアが開かれる。
「部長、失礼します」
入ってきたのは、茶色い帽子を被った若いエイパムだった。
ムトムと向かい合って座っているレインを見て、エイパムはあっと口を押さえる。
「すいません! 失礼しました!」
エイパムはすぐに退出しようと扉を閉めかけた。
「エイム君待ちなさい。 ちょうど良かった。君は確か例の事件について調べていたよね? 今ここでそれを教えてもらってもいいかな?」
ムトムの突然な頼みにエイムは戸惑っていたが、事件のことを記事にしても良いとお達しがあったのかと勘違いして喜んで頷いた。
「これ記事にしても良いんですね?!」
期待を込めてエイムはムトムに聞く。
「話を聞きたいんだ」
記事にするかしないかの問いは無視して、ムトムは急かした。レインは袋からメモ帳を取り出し、すでにいつでも聞ける体制に入っていた。
「わかりました。えっと少し待ってください」
エイムは、肌身離さず持っている手帳をポケットから取り出し、自分が調べて来た情報をムトムにアピールするように話し始める。ムトムは頷いて聞いているふりして、レインは一字一句聞き逃さんとして耳をそばだてた。
事件の概要から、失踪者の特徴。失踪する時間帯等、テレビや新聞では放送されていない情報が多々多く話された。話を聞いていくうちに、警察が各新聞社に圧力をかけていることをレインは知る。
最後に事件のまとめと、エイム自身の意見を入れて話は終わった。
話すのが上手いなとレインは、エイムの情報収集能力だけでなく、プレゼーテーションの高さを心の内で称賛した。
ムトムは終始頷くことしかしておらず、真面目に話を聞いていたのか分からない。
「どうでしたか?」
エイムは恐る恐るムトムに聞いた。
「良かったよ。ありがとう、だけど記事にするのはやっぱりダメだね」
「えっええー! そんなぁー!」
エイムは非難の声を上げた。
「そういうのは、大手新聞社がやっているからね。僕らは地方新聞社。地元のことを記事にしたほうが言いと思うんだ。例えば町のおいしいお店コーナーをピックアップする記事とかさ」
「そんな記事、新聞で書く必要ありますかね」
エイムは苦笑いでいた。
「あるある、ないなら必要だと思われる記事を書きなさい!」
「そんな無茶苦茶な!」
不条理だと叫ぶエイムを、笑いながら室内から追い出して、ムトムはソファに戻る。
「今の内容で良かったかい?」
レインは先ほど聞いた情報を、メモ帳に詳細に書き残しているところだった。
「あぁ、十分だ。そっちは何が欲しい?」
「笹目新聞社を脅せるネタ」
率直なムトムの依頼内容に、レインは難儀する。
「……あの大手新聞会社の?」
「無理かな」
レインは袋からメモ帳とは違う厚い黒表紙の手帳を出して開くと、それを見ながら腕を組んで唸る。
「……いや、ちょうどネタはあるから大丈夫だが……けどなぁ」
「本当かい?」
ムトムは目を光らせ、レインの次の言葉を待った。
「……まぁいいか。脅せるネタだよな? ならこの笹目新聞の不祥事件とかどうだ」
言葉に出さないで、ムトムに開いている手帳を見せた。レインは、重要な情報ほど言葉では伝えないことにしている。
それはもしかしたら、どこかで誰かが取引現場を盗聴しているかもしれないからだ。可能性は低くとも、気を付けることに越したことはない。
「……これ本当なのかい?」
ムトムは目を丸くして、レインにこれが確かな情報かと確認をする。
「本当だ。けどもともとあの会社は黒い話が多いからな。これは序の口なんじゃないのか?」
「しかし、よく調べたもんだな」
「ちょっとしたコネがあってね。これでお互い取引成立でいいな?」
ムトムが頷いたので、レインは手帳を閉じて袋の中に仕舞い込む。
「なら、俺はこれで帰らせてもらうよ」
取引が終えたらもう用はないと、レインはソファから立ち上がりドアノブに手をかけた。
「レイン君、この会社で働くつもりはないか?」
「悪いけど、俺は文章を考えるのは苦手なんでね、新聞は読む側が良い」
「読む側か。わかったよ。そうだ、帰るならコル君に挨拶していかないかい?」
「そんな仲良いわけでもないし、部長さんから俺がよろしく言っていたと伝えてくれよ」
手を振ってレインはドアノブを回し、部屋から退出した。
部屋から出ると、廊下にコルがいたのでレインは驚く。
「ちょっ、まさかお前ずっとここにいたのか?」
「まさか、ちょうど部長に用ができたから来ただけだよ」
コルはそう言って、レインの体をじろじろと見まわす。
「なんだよ」
「怪我はしてないね」
コルはレインが怪我をしてなくてほっとしていた。取引をしただけなのに身の安全を心配されて、レインは困惑する。
「え? 何、あの部長危険なのか?」
「水を出すマジックみたいなのしなかった? あれたまに部長失敗して暴発するんだよ。その時、感電するお客さんが多くてね」
なるほどと思いながら、ムトムがどういう仕掛けであの水を出しているのか、今更ながらレインは気になった。
同時に暴発の危険があると知りながら、その方法でやり続けている理由も知りたい。
「つか、だったら止めろよ」
「注意しても、上手くあしらわれるんだよね」
「確かに口達者な感じはするけど、そこまで凄いのか…………あーそうだ、お前の名刺くれないか?」
思い出したようにレインは、コルに名刺交換を申し出た。
「名刺? 良いけど君も出してよ」
コルが名刺を出すよりも先に、レインは袋から名刺を出して投げてよこした。
うまく名刺をキャッチして、渡された名刺を裏表に反しながらコルは眺める。
「へぇ、本当に持っていたんだね」
半信半疑で言ったのか、出された名刺を見て少し驚いている。
「そりゃ持っているさ、仕事柄があれだし」
当たり前だとレインは言うが、コルはなんだか気に食わない様子だった。
「なんていうか、似合わない……」
「いや、似合う、似合わない関係ないだろ」
やれやれとレインは両手を挙げて首を振る。
「はい、これが僕の名刺だよ」
コルから渡された名刺を見て、レインは初めてコルに苗字があることを知る。
「お前苗字あったのか。珍しいな」
名刺に書かれてあるコル・ダグタンスの表記を見て、レインの中で何かがひっかかった。
「ダグタンス……どこかで聞いたことあるような」
「あっごめん! それ昔の奴だった!」
コルは慌ててレインから名刺をひったくると、違う名詞を差し出した。その名刺には、名前しか表記されておらず苗字は書かれていない。
「なんでこれは名前だけなんだ?」
「気にしないで」
それ以上は聞くなと、コルの目が訴えていたのでレインは黙った。
気まずい雰囲気になり、二人の間に沈黙が流れる。
「あーそれじゃあ……またなー」
気まずい雰囲気を振り払うように、レインは大手ぶりに振ってエレベーターに向かっていった。
コルは返事をせず、レインが曲がり角に姿を消してから安堵するように小さくため息を漏らした。