作業に没頭していると、暇を持て余していたカモネギがズボンを突っついてくる。
「……カモネギ。暇なのはわかるが、邪魔しないでくれ」
キコリは手を止め、カモネギを諫める。するとカモネギは首を振って、上を見ろと言うように葱で空を指し示した。
おもむろに顔を上げると、青とオレンジが入り混じる幻想的な空に向かって、飛び立っていく鳥ポケモンの群れが見えた。
赤い目の周りには黒縁眼鏡をかけたような模様があり、体毛は茶色くふくろうに似た外見をしている。
「ホーホーが何故こんなに……」
ホーホーたちの姿に驚いている中、キコリは森が騒いでいることに気づく。いつもは静かな森が、不安げにさえずる鳥たちやざわざわとなびく木々たちによって、五月蝿く感じられた。
キコリは作業を放り出し、カモネギを連れて森から山道に出た。異変の原因を探るため道を歩くと、妙に固い土を踏み締める。足元を見てみると、地面に焼け焦げた跡があった。
その直後、雨雲がないのに森に雷が落ちた。
鳴り響いた雷は自然のものにしてはやけに音が小さく、光も弱い。キコリは、今の雷がポケモンの技にあたる『かみなり』だと思い、すぐさま光が落ちた場所に向かった。
光が落ちた先に着くと、何本かの木がなぎ倒れていた。
倒れた木々を跨ぎながらキコリは奥へと進む。すると、草むらに隠れて怯えているポケモンを発見した。
頭に一本の針と、黄色と黒の縞模様をした三対の脚を持っている。イトマルと言うポケモンだが、緑色の体には明らかに火傷の跡がある。
キコリが近づくと、イトマルは体を大きく見せようと後ろ足を立たせて威嚇した。
近づくに近づけず、キコリはジレンマを抱える。その時、今にも倒れそうだった木が何かの拍子に動き出し、イトマルに向かって倒れこんできた。
キコリは、とっさにイトマルを抱いて倒れてくる木から庇う。
音を立てて木は倒れ、その衝撃で驚いた鳥たちが空を飛んでいく。
「っ……大丈夫か?」
キコリが聞くと、目をぱちくりさせながらイトマルは小さく頷いた。倒れた木はキコリのすぐ側で転がっていた。あと少し角度が違えば、キコリの脚は木の下敷きになっていただろう。
キコリの行動を見ていたカモネギが、怒った様子で近づいてきた。
「無事だったんだから、そう怒るなよ」
怒るカモネギに、キコリは肩をすくめる。それからイトマルに顔を向けると、何故か腕の中で縮こまっていた。
「どうした?」
心配になって声をかけてみるとイトマルは、カモネギを足で指した。
どうやらカモネギが怖いらしい。
「大丈夫。あいつはお前を攻撃しないよ」
カモネギも怖がられてることに気づいたのか、イトマルに向かって優しく鳴いた。
イトマルは少しだけ顔を出して、カモネギを見つめる。
が、やっぱり怖いのか、すぐに隠れてしまった。
それを見てがっくりとうな垂れるカモネギ。そんなカモネギを、キコリは頭を撫でて慰めてやった。
「さて、どうするかな……」
キコリは『かみなりを』を放ったポケモンを気にしていたが、イトマルの怪我も無視することは出来ない。
ひとまずイトマルを優先し、ポケモンセンターに連れて行くことにした。
村に戻りポケモンセンターに入ると、カウンターに警察官と思える人がジョーイに取調べをしていた。
「そうですか。やはりこちらも目撃証言は無いですか」
「ご協力出来ず、ごめんなさい」
「いえ、捜査のご協力感謝します。目撃証言がありましたら、すぐに連絡して下さい」
警察官は敬礼すると、キコリとすれ違って外に出て行った。
それを横目で見ながら、キコリは空いたばかりのカウンターに近づいてジョーイに話しかける。
「ジョーイさん。このイトマルを見てほしいんですが」
「まぁキコリさん。どうしたんですかその子」
見るからに怪我をしている野生のイトマルを見て、ジョーイは目を丸くする。
「偶然森で倒れているのを、見つけたんです。なんだか普通の怪我には見えなかったので連れてきました」
「普通の怪我ではない……?」
キコリは頷きながら、イトマルをジョーイに手渡そうとした。すると、イトマルは声を上げて泣き喚いた。
「あらあら」
「おいおい、その人はお前の怪我を治してくれる人だぞ」
イトマルは、キコリから離れまいと力いっぱい腕に引っ付く。
「懐かれてますね。キコリさん」
「うーん。まさかこんなことになるとはなぁ……と言うか、痛いんだが……」
キコリは、腕に引っ付くイトマルを無理やりはがして両手で抱える。
イトマルは不安げな表情でキコリを見つめていた。
「……そう不安がらないでくれよ。ここにはお前に危害を加える奴はいないから……な?」
言い聞かせるようにイトマルに言うと「ジョーイさん。お願いしますね」っとジョーイに預ける。イトマルはキコリの言うことを聞いたのか、大人しくジョーイの手に引き渡った。
イトマルが無事に診察室に連れてかれる姿を見てから、キコリは近くにあったソファに座りこんだ。
フロアにはキコリしか居ないせいか、室内はとても静かだった。そのおかげで、足元でうろちょろしているカモネギの足音がよく響く。
それ以外で聞こえる音と言ったら、児童室からもれてくる子供たちの声ぐらいだ。
ソファに手を突きながら、キコリは先程見せたイトマルの不安げな表情を思い返す。
「……あいつと初めて会った時も、あんな風に不安がってたな。同じイトマルだから仕草が似てるのも当たり前か……」
物思いにふけるキコリの眼は、どこか遠いものだった。
ガラッと児童室の扉が開かれる音がしたので、何かと思い、キコリは視線を下した。開かれた扉から、男の子が顔を覗かしている。じっとこちらを見ているので、キコリは手を振ってみた。そしたら男の子は、ぎこちない動きでキコリに手を振り返した。
「カズキ。何してんのー?」
半開きだった扉が全開になり、もう一人の腕白そうな男の子が、児童室から顔を出した。
「カンタ。あの人カモネギ連れてるよ」
カモネギを連れてることが珍しいのか、カズキと言われた男の子は、少し興奮した様子で腕白そうな男の子に言う。
「カモネギ? あっ」
腕白そうな男の子はキコリを見た瞬間、指を差して驚く。そして、バタバタと足音を立てながらキコリの所にやってきた。
「おじさんなんでここに居るの? ポケモン回復しに来たの?」
「そんな感じだよ。あとカンタ、センター内で走るのは禁止だと言ってるだろ。それと、人を指差すことも失礼だからな」
キコリは、カンタに向かってマナーを注意する。しかしカンタはキコリの言葉をからっきし聞いておらず、なおも質問を続けた。
「ねぇねぇ。おじさんなんでポケモンが怪我したの? バトルしたの?」
「バトルはしてない。怪我をしているポケモン見つけたから、連れてきただけだ」
「なんだ。つまんないのー」
カンタは興味を無くしたのか、側に居たカモネギを撫でまわし始めた。
「つまんないってお前な……まぁいい。それより、さっきの子は友達か?」
今も扉越しから覗いている男の子を見ながら、キコリは聞いた。
「うん。カズキって言うんだ」
目があったので笑いかけると、カズキは児童室の中に入って身を隠してしまった。
それを見たカンタは、吹き出しながら「カズキは、おじさんみたいな怖い人が苦手なんだよ」と言った。
「さらっと酷いこと言うな」
「だって本当じゃん」
キコリは、満面の笑顔を浮かべながらカンタの額をデコピンした。
「痛い! ドメスティックバイオレンス!」
でこピンされた額を押さえながら、カンタは叫んだ。
「ドメスティックバイオレンスは家庭内暴力な。お前、そんな言葉どこで知ったんだ」
「先生が使ってた」
「よし、後でその先生が誰か教えてくれ」
「おじさん怖い顔してるよ」
「何、ただ保護者としてお話がしたいだけだ」
キコリは笑いながら言っていたが、その眼は笑っていなかった。
「カンタ! カンタ! 先生来たから早く戻れ!」
扉越しから顔を出したカズキが、手招きしながら大声でカンタを呼んでいる。
「やべっ! またねおじさん!」
カンタはまたバタバタと、足音を立てながら児童室に戻っていった。
カズキが早く早くと急かしている姿を見ると、よほど先生が怖い人なのだろう。
児童室の扉を閉める前に、カンタはキコリに向かって手を振った。
手を振りかえさないと後で何を言われるかわからないので、キコリは軽く手を振りかえした。
カンタはそれを見て満足したのか、児童室の扉を閉めて中に戻った。
「やれやれ」
カンタが居なくなったことで、室内には静けさが帰ってきた。
先ほどまでカンタに撫でられていたカモネギが、ぐったりした様子で床に座っている。
「……今日もグリグリやられたか」
キコリが聞くと、カモネギは溜息を吐きながら乱れた頭を整えていた。その姿を見てキコリは苦笑いを浮かべる。
診察が終了した音が流れたので、キコリはソファから立ち上がりカウンターに向かう。診察室から出てきたジョーイの腕には、元気な顔をしているイトマルが居た。
「もう大丈夫ですよ。この通りもう回復しました」
キコリはそれを聞いてほっとする。
イトマルはキコリを見ると、ジョーイの手から離れてカウンターの上に移動した。
「良かったな」
キコリはイトマルの体を優しく撫でる。
お礼を言おうと顔を上げると、イトマルが元気になったにも関わらず、ジョーイは沈んだ顔をしていた。
「どうかしましたか?」
キコリが尋ねても、ジョーイはそのまま黙り込んでいた。
「ジョーイさん?」
「……キコリさん。この子はもしかしたら、トレーナーに襲われたのかもしれません」
「トレーナーにですか?」
キコリは顔を曇らせた。
「この子の怪我は、キコリさんの言う通り普通とは違っていました。火傷を負っている所もですが、一番は人が蹴った跡がありました……」
「なんですって?」
「先ほど警察の方からお話を聞いたのですが、昨日からこの森に捕獲を目的とせず、ただ野生のポケモンを傷つけているトレーナーが居るみたいなんです」
ジョーイはキコリの様子を窺いながら言葉を続けた。
「瀕死になった後も、繰り返し攻撃をしていたみたいです。ヒワダタウンでは、すでに多くの野生のポケモンたちが担ぎ込まれているようで……その中には、後遺症を残すほど悲惨な状態なポケモンも居たと……」
最後の方ではジョーイの声は震えていた。
キコリは、森が騒がしかったのはそのトレーナーが原因だと確信する。また面倒ごとが増えたと、キコリは嘆息を吐きたくなった。
「……だとすると、我々も森に入るときは気を付けないといけませんね。その心もとないトレーナーのせいで、人間を敵視するポケモンが増えるはずです。ポケモンに襲われる人も出てくる可能性があります」
「えぇ、私も同じことを思っていました。村長さんに後でこの事を話そうと考えてます」
「そうした方が良いでしょう。俺も、旅人を見かけたら気を付けるよう言っておきます」
「わかりました。では、イトマルはどうしますか?」
カウンターの上を動き回るイトマルを見下ろしながらジョーイは言った。
「俺の方で預かりますよ。群れに逸れた所を襲われたと思うので、明日群れの下に帰します」
「……彼らの縄張りに入っても大丈夫ですか?」
「縄張りには入りませんから大丈夫ですよ」
「気を付けてください。きっと彼らもトレーナーの存在を知ってるはずですから、さらに凶暴になってるはずです」
「そう心配しなくともヘマはしませんよ。今日はありがとうございました。それではおやすみなさい」
キコリは挨拶すると、イトマルを抱えてポケモンセンターから外に出た。後ろでは、カモネギが小走りでキコリの後を追っていく。
小屋を目の前にして、キコリは森に置いてある薪のことを今更ながら思い出した。すでに暗闇と化した森に入るのは自殺行為である。
イトマルを群れの下に帰したら取りに行こうと、胸にとどめながらキコリは小屋に入った。